2024.12.10
NEIGHBORS
花の雲 鐘は上野か浅草か―。
盛りを迎えた隅田川の桜を彷彿とさせる、俳聖、松尾芭蕉の名句。旬の花木に彩られ、毎月のように祭りや行事に沸く浅草の街は、季節が巡るたびに表情を変え、数多の文化人を魅了してきました。
そんな浅草の豊かな四季を慈しみ、時節にちなんだ和菓子を作り続けてきたのが、雷門前に店を構える創業170年の御菓子司「龍昇亭 西むら」。味わいだけでなく、和菓子の由来や日本の伝統文化を重んじる商いの礎は、下町ならではの温もりに満ちた「人を想う心」でした。
20種類ほどの和菓子が並ぶ「西むら」の店内。人情の街らしく、常連客との会話が弾むこともしばしば
「こんばんは。寒くなりましたね。」
東京最古の寺院、浅草寺の門前町として発展し、今では国内外の観光客がひしめく雷門通り。老舗らしい、重厚な木製看板を掲げた「西むら」の店内では、6代目の西村勘太(にしむら かんた)さんと母の彰子(あきこ)さん、祖母の和佳仍(わかよ)さんが、常連客との会話を楽しみながら接客をしています。
江戸時代末期の1854年、現在と同じ場所で上生菓子屋を始めた「西むら」。元々は浅草寺の参詣人にお茶や団子を提供する掛け茶屋を営んでいたそう。浮世絵師、歌川広重の作品「雷門前図」(1829年)には、茶屋で休む客の姿とともに「西むら」の吊旗(ちょうき)が描かれており、歴史の深さがうかがえます。
なめらかな舌触りの「栗むし羊かん」。あっさりとした甘さで男性にも人気
看板商品は、初代から受け継ぐ「栗むし羊かん」。栗の甘露煮を隙間なく乗せているのが特徴で、お客様が「栗がぎっしりだね。」と驚くほど。むっちりとした食感が損なわれぬよう、その日の天候や気温に合わせてこし餡や小麦粉の分量を調節。機械を使わず、人の手で作ることを信条とする「西むら」ならではの、職人の腕が光る逸品です。
外国人観光客にも好評だという「どら焼き」は、観光時の食べ歩きにもってこい。パンのような見た目の「東京かすていら」、あんずジャムやチーズバターを挟んで洋菓子風に仕上げたブッセ「羽衣」も、他県から買い求めに訪れるお客様がいるほどの人気ぶりです。
松茸や山茶花の上生菓子。視覚でも四季の移ろいを感じられるのが和菓子の醍醐味
心掛けているのは、四季折々の和菓子を作ること。なるほど確かに、11月の店内には紅葉や松茸など秋の風物詩を象った練切や、クリスマスの絵柄をあしらったふ焼きが並びます。
「季節や行事に合わせて楽しめるのが、和菓子の魅力だと思います。夏は涼しげな水大福とか、お彼岸はおはぎとか。その時期だけの特別感がありますよね。」と、勘太さんは微笑みます。
縁起物としての和菓子にも、奥深さを感じているといいます。
「ひな祭りやこどもの日には、お子さんやお孫さんのためにと、たくさんの方が桜餅やちまき、柏餅を買いにいらっしゃいます。コロナ渦でも、ご家族のためにお菓子を買いに来るお客様は減りませんでした。」
大切な人の健やかな成長や幸せを願い、和菓子を贈る―。人を想う文化の尊さに、あらためて気づかされます。
左から先代の淳さん(父)、和佳仍さん(祖母)、6代目の勘太さん、彰子さん(母)
大学では海洋系の学部で学んだ勘太さん。「店を継ぐという強い意志はなかった。」と明かします。5代目の父、淳(あつし)さんにも、強要されたことは一度もないそう。それでも卒業後、金沢市の和菓子屋へ修業に赴いたのは、「とても自然な流れだった。」といいます。
「(浅草に住んでいる)僕の先輩や後輩もみんな家業があって、いつの間にか継いでいる。浅草自体がそういう街なんですよね。」今では弟の大吉(だいきち)さんも工房に立ち、和菓子職人としての道を歩み始めました。
下町らしい人情にも支えられてきました。地震や空襲など、悲しい歴史も併せ持つ浅草ですが、「困難があっても、地域で支えあって『なにくそ!』の気持ちで乗り越えてきた。近所の店とは家族ぐるみの付き合いで、競合というより仲間。地域一丸となって街を盛り上げていく浅草の土地柄が好きです。」
年間約3,000万人が訪れる浅草寺。国内屈指の観光地にあっても、決してあぐらはかきません。「何を守り、何を変えるのか。仲間と一緒に考えながら、お客様とのつながりを大切にしていきたいですね。」
浅草に住まう人々が「名店」と口を揃える「西むら」。和菓子への真摯な姿勢とともに、家族や仲間を信頼し、お客様を想い、街を愛する温かさに、心惹かれるのかもしれません。
龍昇亭 西むら
電話:03-3841-0665
住所:東京都台東区雷門2-18-11
HP:https://ryushoutei.com/
SNS:https://www.instagram.com/ryushoutei_nishimura/
※営業時間や定休日についての詳細は上記のリンク先にてご確認ください。