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2025.07.10

かける山笠、つむぐ人 博多祇園山笠 歴史と伝統の継ぎ手たち

EVENTS

かける山笠、つむぐ人 博多祇園山笠 歴史と伝統の継ぎ手たち

「おいっさ 、おいっさ」 掛け声が風に乗って届いてくると、博多の夏が動き出す。
遠ざかっては返ってくる声に、胸の奥がざわめきます。
7月1日の飾り山笠(やま)公開から15日の追い山笠にかけて、本格的に博多祇園山笠の時期がやってきます。

そして、その声の奥にはいつも“見えない人たち”の気配。
山笠を走らせているのは、最終日に山笠を勢いよく舁(か)く者たちだけではありません。誰にも知られず、静かに準備を整え、裏方として支え続けてきた人たちの手。そのぬくもりが、博多祇園山笠をつくりあげているのです。

名もなき人たちの記憶を、ひとつずつ拾い上げるようにして 。
今年もまた、博多の町に山笠が走ります。

5ヶ町が織りなす、中洲という絆

以前中洲五丁目が当番町だった年の集合写真

以前中洲五丁目が当番町だった年の集合写真

中洲の町がひとつになるのは、年に一度のお祭りだけではありません。中洲流(ながれ)は、一丁目から五丁目までの5ヶ町によって構成され、それぞれの町が、1年を通して様々な神事や行事に携わっています。

参加するのは、中洲の住人だけでなく、店を営む人、働く人、そしてそこに通い続ける常連客や知人たちです。“ご縁”でつながる人々が、静かにこの町を支えています。

日頃から町全体の連帯感が育まれる中で、山笠に向けて更に繋がりは深くなります。
長法被や水法被は全町で統一され、背には染め抜かれた「中洲」の文字。その一着に、所属を超えて流をひとつにする願いが込められているのです。

中洲流を支えているのは、山笠に実際に関わる者だけではありません。中洲町連合会を母体に、中洲防犯組合や環境衛生組合、観光協会といった地域の組織が、年間を通じて中洲の暮らしに根づいています。地域清掃、防災訓練、中洲祭りや中洲JAZZといった催しにまで、祭りと日常がゆるやかにつながっているのです。

「祭りだけが特別ではなく、日々の地域貢献が祭りにもつながっています」 そう静かに語るのは、今年の二番山笠中洲流で庶務を担う村石俊彦(むらいしとしひこ)さんです。中洲五丁目の一員として地域に根ざした活動をしながら、20年以上山笠に関わってきました。

追い山笠に恋して――つながれたご縁

迫力ある追い山笠の光景

迫力ある追い山笠の光景

大学時代、村石さんは中洲のレストランバーでアルバイトをしていました。その帰り道、偶然目にした「追い山笠」が、人生の岐路となったそうです。

「その迫力に一瞬で引き込まれました。『いつか、自分もあの中に入りたい』と自然に思ったんです」

数年後、中洲五丁目から参加していた方とのご縁を得て、彼の山笠人生が始まりました。

今では中洲の防犯組合員として中洲の防犯活動を行いつつ 、今年は当番町として1年を通して山笠の業務にあたっています。当番町という役割には、準備から本番に至るまでに多くの仕事があり、見えないところでの調整や段取りが山笠の円滑な運営を支えています。責任も大きく、決して楽な役割ではありませんが、それだけに得られる充実感もひとしおです。

6月に入るとどの流も小屋入りし、本格的な準備が始まります。流ごとに風習が異なる部分もあると言います。

「中洲は住吉神社の氏子であるため、地鎮祭の後には住吉神社にも御祈願に参ります。事故や怪我なく無事に祭りが執り行われるように皆で祈ります。」

そして山笠には、多種多様な人が関わっています。子どもから高齢の方まで参加でき、経営者や医者など、職業もさまざまです。それが山笠の面白さでもあります。そこには”いつもと違う自分”が許される空間があり、誰もが一様に“肩を並べて進む”体験があるのです。

「最終的に大切なのは人と人のつき合いです。“中洲にご縁がある”ことで、自然と人々が繋がる 、そんな町なんです。だからこそ、自分もこの歴史と伝統ある文化を継いでいきたいと思うんです」

華やぎと記憶を映すまちの風景

ホテルリソルトリニティ博多の建物横では奉納された飾り山笠を見ることができる

ホテルリソルトリニティ博多の建物横では奉納された飾り山笠を見ることができる

7月1日になると、中洲のど真ん中には、飾り山笠が堂々と姿を現します。今では飾り山笠を有する流は数少なくなり、より一層貴重な光景です。西日本一の歓楽街にそびえ立つその姿は、賑わいの中に凛とした誇りを宿し、一枚の屏風絵のように町を彩ります。

博多を代表する人形師溝口堂央(みぞぐちとうよう)さん、中村弘峰(なかむらひろみね)さんの指示のもと 飾り山の両面が次第に出来上がっていく

博多を代表する人形師溝口堂央(みぞぐちとうよう)さん、中村弘峰(なかむらひろみね)さんの指示のもと 飾り山の両面が次第に出来上がっていく

手作業で一つずつ飾りを設置する作業は3日間にも及ぶ

手作業で一つずつ飾りを設置する作業は3日間にも及ぶ

舁き山笠も同時に作り上げていく

舁き山笠も同時に作り上げていく

祭りが終わると飾り山笠も舁き山笠も解体されるため、山笠の魅力に一年中触れられる場所は非常に限られています。櫛田神社、川端ぜんざい広場、そして中洲流とゆかりの深い「ハクハク」が、その貴重な舞台です。

ハクハクに展示されている舁き山笠は通年見ることができる

ハクハクに展示されている舁き山笠は通年見ることができる

「ハクハク」は、中洲流の設立当初から力を尽くしてきた”味の明太子ふくや”が手がけた博多の食と文化の博物館。明太子工場に隣接した館内には、地域のためにという想いのもと、山笠の歴史や文化を伝える展示物が整然と並びます。賑わいの裏にある静かな熱量 やその余韻に、日常のなかでそっと触れることができる場所なのです。

神さまのまなざしの下で誠を尽くすということ

左:総務のさん 中央:総取締のさん 右:庶務の村石俊彦(むらいしとしひこ)さん

左:総務のさん 中央:総取締のさん 右:庶務の村石俊彦(むらいしとしひこ)さん

博多祇園山笠は、見世物ではありません。それは神事であり、「何のために行うか」が、関わるすべての人にとっての根幹にあります。だからこそ、派手さの裏に、静かな凛とした気配があるのです。

村石さんは語ります。 「お祭りは、楽しいだけではない。“真剣に向き合う”ために、神さまの前で正直にいること、全てに誠実に臨むことが大切だと思うんです」

村石さんは今まで赤手拭いを経て、当番町を経験し、長年の若手頭も務めてきました。現場で汗を流す立場から、流全体を見る立場へと変わってきたとき、自分の中の“祭りの見え方”が大きく変わったといいます。

「50代になった今だからこそ、言葉にできない魅力や感謝の気持ちを感じるようになりました」

そして、さまざまな人との交流が、この祭りをより深いものにしてきたと言います。

「肩を並べる相手が毎年違う。それがこの祭りの面白さです。気づけば、毎年自分の世界が少し広がっていくのを感じています」

統一された法被を纏い、子どもも孫も一緒に担ぐその姿には、血縁ではない「町」という名のもとでの連帯感があります。

祭りや地域の伝統は子どもたちにも受け継がれていく

祭りや地域の伝統は子どもたちにも受け継がれていく

誇らしそうに父親と追い山笠の舞台へと向かう子どもたち

誇らしそうに父親と追い山笠の舞台へと向かう子どもたち

そして、最後にこう語ってくれました。 「先代の皆様が紡いできた歴史や伝統を忘れず、凛とした気持ちを持ち続けていきたい。そして、令和七年度博多祇園山笠 二番山笠 中洲流 の一員であることに感謝の気持ちを持って、すべてに臨みたいと思っています」

受け継がれるのは技や形だけでなく、“空気”や“間”のようなものなのかもしれません。



今年も変わらず山笠が駆け抜け、声が響きます。
博多の夏には、神さまの前でまっすぐに立つ人々の背中が連なり、静かで力強い光景が広がっています。

博多祇園山笠振興会 
電話番号:092-291-2951
住所:福岡県福岡市博多区上川端町1-41 博多総鎮守 櫛田神社内 
アクセス:ホテルリソルトリニティ博多より徒歩7分 
HP::https://www.hakatayamakasa.com/
詳細は上記のリンク先でご確認ください。